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AquariumClock「黒でめ金」


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ミルオ同居人

Author:ミルオ同居人
管理者 同居人
毎日が静かで平穏、平和に暮らしていたいと祈り、
日々 チンチラミルオとの日常生活を送っております。
ミルオの不思議な行動と
 沖縄での日常をチョロチョロと
綴っていきたいと思っております。
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DATE: CATEGORY:沖縄
2007年06月22日(金)
沖縄、23日「慰霊の日」
遺族と共に前夜祭で冥福祈り、23日の正午に平和の黙祷をします。

 激しい地上戦となった太平洋戦争末期の沖縄戦で亡くなった20万人以上を悼む「慰霊の日」を前に、遺族らが22日夜、沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念堂で追悼式前夜祭を営み、戦没者の冥福を祈りました。
 午後七時、祈念堂前の聖火台にかがり火がともされると「平和の鐘」が7回打ち鳴らされ、県内外からの参列者約500人が1分間の黙祷。
 主催した沖縄協会の清成忠男会長は「再び過ちが繰り返されないよう、戦争の悲惨な事実をありのままに伝えていくことが、犠牲になったみ霊に報いる唯一の道です」と鎮魂のことばを述べ、戦没者を慰める琉球古典音楽や舞踊が奉納されました。
 23日は正午前から約5000人が参列する「沖縄全戦没者追悼式」が行われ、安倍晋三首相や仲井真弘多知事、在沖米軍のトップも出席。那覇市国場の沖縄尚学高校付属中学2年の匹田崇一朗君(13)が「平和の詩」を朗読します。



 太平洋戦争末期。沖縄では米軍による艦砲射撃。空襲。陸軍病院の看護活動に,女学生が動員されました。沖縄師範学校女子部と沖縄県立第1高女の生徒たちで「ひめゆり学徒隊」と呼ばれました。血,うみ,汚物にまみれた病院壕(ごう)の中での看護作業,死体処理……。米軍が上陸し,日本軍と学徒隊は命からがら移動する。さまよいながらの傷病兵の手当てします。
この国内唯一の地上戦で,沖縄の人々は米軍の攻撃に苦しんだだけでなく日本軍にもひどい目に遭わされる沖縄戦は,1945年3月26日,慶良間諸島で始まった日米両軍の戦闘から,同年6月23日,糸満市摩文仁の丘で,沖縄防衛32軍の牛島満司令官,長勇参謀長らが自決して日本軍の組織的抵抗が終結するまでの戦闘をさします。「鉄の暴風」と言われたほどの激しい艦砲射撃と空襲で,約20万人の犠牲者のうち,10数万人は一般住民でした。

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昨年TVにて『最後のナイチンゲール』が放送されました・・・
感想:『ひめゆりの塔』は何度かTVや本で観ていましたが、まだこんな悲劇があったのか と考えさせられたお話しでした。

『誰にも知られずここで死ぬのかな』って少女達が言っていた場面がありますが絶対誰にも知られず、眠っている話しはまだまだ沢山あるだろうと痛感します。
結局戦火の中を生き延びた方がいて 始めて語り告がれる訳ですから…

昭和19年10/10
   約1400戦闘機が沖縄全域を空爆
昭和20年4/2
   沖縄本島を米軍が押寄せ、ここから沖縄の悲劇が始まりました。

ここで学徒隊が結成され16~19歳の少女達が『看護隊』として戦地に送られた話しでひめゆり学徒隊・しらゆり学徒隊・なぼらん学徒隊・べいご学徒隊など400名の少女達が戦地へ向かったのです。『従軍は義務ではない』とは言っても、イヤとは言えない現状がありました。
疎開に行くなどの選択肢は『非国民扱い』国の為に命を捨てろ。捕虜になるなら立派な最後を遂げよが教え。
特攻隊もそうですが、こんな悲劇的な教えは日本だけと聞いてます。

少女達も一生懸命傷ついた兵隊さん達の手当てをしました。そんな中こんな話しがありました。
一人の少女が兵隊さんの側で傷ついてい民間人のおじいちゃんをみつけました。
手当てをしようとしたら『お国の為に働いている兵隊の手当てが先』と叱られました。
少女は『命に順番なんてない』と反抗しました。
結局婦長が壕の中に行って手伝うよう促しました。
彼女は泣く泣く中へ行き、手が空いてから再びおじいちゃんの元へ…
そのおじいちゃんは言いました。
『島を奪われ、言葉を奪われ(沖縄語禁止)・唄を奪われ・踊りを奪われた。
でもここ(心)は奪われてない。『なんくるないさ』って小さい時から思うようにしてた。
だから学生さんも悲しい顔をしないで笑ってなさい。笑う事は素晴らしいこと『なんくるないさ』』の言葉を最後に息を引き取りました。


昭和20年5/27
 首里の指令本部まで敵が迫り、司令部を放棄し南へ撤退する事になりました。
その時に下した命令が、自分一人で歩けるもの意外壕に残す。しかも壕で動けない患者に青酸カリを渡し自決を促したのです。

学徒隊もやっとの思いで南に逃げ着いた先で手当てを始めた矢先下された命令が敵がすぐそこまで迫ってきて居るからこの場で解散せよ。と言うもの。自由行動=非戦闘員は壕を出て行け!と言うのです。
戦火の中に放り出された学徒隊たちはただ逃げるしかなかったのです。
逃げてる間に銃弾で倒れる人や行方知れずになった人、また沢山の犠牲者が出ました。

結局アメリカ側が『食べるものも着る物もあるから』と呼びかけた時も
追い詰められた一般人の人達は 捕虜になって拷問され酷い目に合うくらいなら…と多くの人達が海に身を投げました。
主人公の少女達は最後まで悩み結局生きる道を選んだのですが、現在生き残った方の証言に寄ってこの話しが分かったのです。

少女達の学校の先生が戦場に行く事になった時言った一言が胸を刺しました。
『死ぬのも怖いけど人を殺すのはもっと怖い』

これは全兵士の本音ではないでしょうか…
お国の為に立派な死を遂げよ!!!と命令を下す中『ハイ』って返事をしていても本心は怖くてたまらないと思います。
どの戦争の話しを聞いたり観たりしてもいつも思うんです。
『お国の為に死ねるのは名誉だ』とか言うけど心の奥ではどんな思いで皆戦って死んでいったんだろう…って。


戦争に行くのは皆10代や20代の若者。
国の為…と言われても子供じゃないですか…
16~19歳って何やってたかな…って改めて考えさせられました。

無意味な戦争を二度と起こしては行けないこと!
こんな悲惨な現実が過去には沢山あった事!

『死ぬのは怖いけど人を殺すのはもっと怖い』
先生が言ったこの言葉。
  
今は人を簡単に殺しすぎる。
死の重み・死の恐怖・命の大切さをもっと知ってほしい。
生きたくても生きれなかった人が沢山いる。

最後の八千草薫さんのシーンは、心に響くセリフがありました。

 ちょっと、疑問の残るシーンもありました・・・・

凄く感動したし、色々考えさせられた。
出産シーンはやはり母として感動したし、強く生きる人に共感もした。
でも、長谷キョンと椎名さんの濡れ場に唖然としたのは私だけ?

あの濡れ場はもう少し描き方がなかったのかな~?!

命の大切さとか 息絶えそうだけれど「あなたの赤ちゃんが欲しい」
愛する人の赤ちゃんが欲しいとかそういう意味であの性描写になったんだろうと思う。

でも、テレビ放送だし子どもも一緒に鑑賞するかもと想像すると・・・
服を全部脱いで あんなに激しいエッチシーンがあのドラマに必要だったのか、少々疑問が残りました。
 もうちょっと考えて欲しかったかな。もったいないドラマになってしまった気がしました。

後、台詞に「女」「女だから」とやけに「女」を意識した台詞が多く感じました・・・・
「女」だから生きるのか?違うような気が・・・
この台詞は男性にはちょっと・・・と思わせたのでは。。。。

 『最後のナイチンゲール』のホームページです
   → http://www.ntv.co.jp/drama-sp/





 



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コメント

長いお話をしっかり読ませてもらいました(;_;)。ひめゆりのおばあちゃんから、女学校でみんなで撮った写真をみせてもらいました。みんなおしゃれに気を使うふつうの女の子達なんですね。かけがえのない若い時代に、あたりまえにオシャレをしたりおいしいものを食べたりするシアワセを保証するのが「お国」のはず。そんなことを忘れたあのトンチンカンな時代に二度と戻らないように。

『なんくるないさ』

硫黄島の擂鉢山頂に星条旗が掲げられ、事実上「硫黄島の闘い」が終結したのは1945年3月26日です。その直後、沖縄戦に突入しました。
Hiroko女史(デグーのお母ちゃん)に薦められて読んだ「父親たちの星条旗」そして、つい先日そのビデオを観終わったばかりだったので、この記事大変感慨深い思いで読ませて頂きました。
硫黄島戦も沖縄戦も米軍の火炎放射器や壕に投げ込まれる手榴弾で日本軍は常に苦戦を強いられました。
攻められ、守る側としては、やむを得ない状況です。

そのような中、硫黄島では観念した日本軍兵士は、壕の中で一人ひとり手榴弾をお腹に抱えて自決していきました。
しかし、沖縄戦では多くの民間人が犠牲になり、その挙句青酸カリや海への身投げによる自決を余儀なくされたんですね。

島を奪われ、言葉を奪われ(沖縄語禁止)・唄を奪われ・踊りを奪われた。
でもここ(心)は奪われてない。『なんくるないさ』


イワニセビッチさんへ

 コメントありがとうございます。
私は 根っからの ばあちゃんこ。
しかしながら私のばあちゃんから、「おじいさんおばあさんのお話を聞いてきましょう」の宿題があっても 大好きなばあちゃんの 体験してきたお話を聞くことは最後までありませんでした。
 振り返らず、慕う孫に幸せを
たっぷりと ばあちゃんは手取り足取り愛情をありったけ注いでくれていました・・・・・

 今となって、気がつくことがいっぱいあります。

話せなかった、、、いいえ 
昔を語らず前進してきた ばあちゃんの気持ちが・・・

これからも
平和に 平穏に 静かに生きていきたいですよね・・・
 ありがとうごさいました。

Rokujizouさんへ

過去においての戦争の悲惨さは
 人は学ぶことのできる頭脳をもちながらも、
今なお繰り返しています。 悲劇の殺しあいを・・・・

その傍らでは、
生きたいのに 生きることの難しさで苦しんでいる人も・・・・

 集団自決などの事実を 教科書から削除する問題も
今実際に議論されています。
 教科書から事実知り、戦争についお学んでいった私は
教科書でも事実を学べなくなることに 疑問を覚えるしだいです・・・

『最後のナイチンゲール』は疑問の残るシーンをのぞけば
 すばらしい作品だと私は思います。
「期待がかなり大きかった」だからこそ、たくさんの人と観て戦争の惨劇のひとつの事実を知る 企画としてよかったけれど・・・
ファミリーで見る作品としては
なんだか、ちょっと抵抗がないとはいえませんでした。

 なので1年という時間をおいて、
昨年撮った写真とホムペに動画をつけて
 今ならと言えると 熱く語ちゃいました^^ゞ

長い、お話のへのコメント
 Rokujizoさんありがとうござまいました!!


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